追悼 杉野保さん (4) ー フリーとは?

フリークライミングとは? 教科書的には、「安全の為にロープや器具を使うが、それらが無いものとして、自身の身体だけで登る岩登」と言う感じか。でも、表面的な表現で、“フリー”と言う言葉に込められた、その重たい「思い」、そのスタイルに「こだわる」と言う思想が伝わらない。

FF寄稿 シージング(1992年7月)の中で、杉野さんは単純明快に表現している。
「もし、落ちても怪我をしない救済手段が他に考えられたら、例えば20メートルのフォールもokの衝撃吸収マットを岩場の下にしきつめるとかできたら、クライミングはどういう方向に進んで行ったのでしょうか。当然口ープは使わないのだからハングドックはできません。核心が最後にあってリハーサルしたくたって、いちいち下から登って行かなけれはならない。一度落ちたらもう終わり。今で言うポルダリングの延長、誰でも気軽にフリーソロができる世界です。」

一方、僕は万年ヘボクライマーで、10台でも支点のボルトやカムにハングドックして、休憩やムーブを探っている。 つまり、ロープ等は本来墜落した時にその安全確保の役目のはずだ。僕はおもいっきりフリークライミングの定義から離脱。でも、ハングドックしなければ、僕の上達はなかったのも確か。こだわりと妥協とのバランスは、人それぞれでよいのだろう。自分が「どうこだわるか」だけだ。

この辺のところを、前述のFF寄稿 の中で杉野さんは次のように述べている。
「ハングドッグとリハーサル無しでは5.14は登れないことは分かっていますし、過去はどうあれ、こういう自分だって、今は合理的でかつ実に楽しいこのヨーロッパスタイルにどっぷりとつかり、思いっきりハングドッグしているわけですから、それを否定するわけではありません。ただ、合理さを追求すると、フリークライミングの本質を見失うことになりやすく、またあらゆる矛盾が生じてくるということを心に留めておきたいものです。」

フリークライミング、我々サラリーマンで週末クライマーにとって、そのスタイルと言うか思想は、各自の中で、どう折り合いを付けて、日々のクライミングを楽しむかだろう。

FF寄稿 シージング(1992年7月)
http://cliff.world.coocan.jp/story/sieging.htm