追悼 杉野保さん (1) ー 訃報を聞いて

杉野さんが亡くなられて4日目、まだ信じられない、でも現実のことなのだと、時折悲しみが込み上げてくる。

訃報を知ったのは金曜朝。僕には珍しく、6時に早く目が覚めてしまい、スマホ見ると何通か知り合いからのメールやLINEが入っていることに気づいた。その日は、仕事している合間、何度も何度も “えっ” 、“えっ“と、信じられない気持ちで一杯だった。

昨日土曜は、旧知のクライマー仲間と城ケ崎シーサイドへ行った。新型コロナウィルスのせいなのか、天気予報がいまいちだったせいなのか、人はまばらだった。

誰もいないサンライズエリアは、どことなく淋しげ。一人立ち尽くし周りを見渡す。イントロダクション辺りの壁で、講習生に教えている杉野さんの姿、周りに人々が集まり談話している光景、瞼の奥底に浮かんでは滲み、消える。
そんなエリアで「コリン星人variation」ルート(Var.は杉野さん初登)、遊歩道から降り、ロープを張ってTrトライ。1回目、全くダメ。以前登れた箇所が登れない。ムーブも忘れている。仕方ない、空中ゴボウ登りで、核心のクラックへたどり着く。「そんなことしてでも登りたいの?」と杉野さんの声が聞こえてくるように感じた。
そう、「そんなことしてでも登りたいの?」と昔2回ほど言われた。以降、痛烈に僕の心に刻み込まれ続けた。それは僕のクライミングスタイルの核となり、杉野さんから学んだ様々な言葉が僕の中で細胞となり、増殖し僕の岩登のスタイルとして、そして僕の山に対するこだわりとして、根付き続けている。

今日日曜雨だ、やることもなく、杉野さんのホームページの中の記事を読みあさっている。沢山の記事がある。僕のバイブルでもある。

杉野さんが亡くなれた今、僕の思うところを文書に残し、今後も切磋琢磨していくことが、供養になると思っている。
これから不定期に記していこうと思う。